「窮鼠はチーズの夢を見る」における、部屋とモノにみる人間関係と心的描写について
こんにちは。yukiです。
おっかなびっくり、はてブを書くのがなんと4ヶ月ぶりになってしまいました☺️にっこり
文章を書くときは何度も推敲したくなるので、なかなか行動にいたれません。ベイビーステップ、大事ですね。肝に銘じることにします。
今回は公開から約1ヶ月が経ち、ロングランとなっている映画「窮鼠はチーズの夢を見る」について書いていこうと思います🎶(ネタバレ含みます!)
わたしは特段大倉くんや成田くんのファンでもなければ、原作も読んでいるわけでもなく、まったく知識がないまま映画を観に行ったただの映画好きなので、タイトルの通りに自分が感じた偏った感想・考察になってしまうことをお許しください!!(先に謝っておきます)
監督がかの有名な「世界の中心で、愛を叫ぶ」を手がけた行定さんということもあって、登場人物の繊細にゆれ動く心情をステキに描写されていて、とても静かで美しい映画だと思いました。
んでね、わたしがこの映画で特に着目したのが
「部屋」と「モノ」です!!
部屋の状態は人の心の状態を表すとはよく言ったもの、主人公の恭一をはじめとした登場人物の心情や人間関係が部屋やモノにものすごく投影されている!と感じずにはいられなかった。
そもそも部屋という場所はプライベートゾーンなので、そこに招き入れようと思う人はある程度のラインを超えた人だと思うんです。
部屋に存在しているのは、ある程度心を許している人との空間であり、距離であるんじゃないかなって。
例えば、それを象徴してるシーンを挙げるとするなら、元カノであり今ヶ瀬の恋敵のなつき先輩は、恭一の部屋に来ようとしてドアの目の前まできたけれど、その部屋にはすでに今ヶ瀬がいて、結局入ることができなくて。
イコールそのまま恭一と今ヶ瀬の心の距離、恭一となつき先輩の心の距離そのまんまなのよね。
みたいな感じで、恭一の部屋と他の人との物理的関係にそのまま心の距離が投影されてるのではないかな、と。
そして、この映画はかなり「部屋」のシーンが多い。
だから部屋に人の心を写しているし描写が繊細なんだなと感じずにはいられなかったわけです。
ダラダラ書いてたらまたいつはてブをアップできるのか分からなくなるので、主人公の恭一を軸にして、さっそく考察していきたいと思いまっす!!!!!
まず、結婚しているときの奥さんと住んでいる部屋。
部屋は白が貴重で優しい感じ。
白という色が持つ意味は「純白・潔白」。いかにも誠実で清い感じがあるけど、実はお互い不倫をしてお付き合いしている人がいたという、実態が正反対なのが何とも皮肉で。
白は反射率が高く目が疲れてしまうという特性もあるそうなんだけど、奥さんからして恭一はきっと、完璧で眩しすぎるからこそ、疲れてしまう存在だったのかも。
あと、家具は女性らしいフォルムやテイストのものが並べられていて、奥さんの意思が尊重されていることを象徴してるようで。その感じからも恭一が人に決めてもらいたいというか、まさしく意思がない"流され侍"の感じが出ていて。
のちに、中華料理屋さんで奥さんに「そうやって私が何か言うのを待ってるのがすごく気持ち悪いの」って言われて別れることになる未来がきてしまう。
その2人の上辺だけの関係が家の家具や雰囲気にすでに描写されてるように感じたわけです。
逆に、奥さんと別れた後の恭一の家は打ちっぱなしコンクリだったりハイセンスすぎて一見無機質な感じもあるけど、茶を基調にしてて、落ち着ける空間だった。わたしも住みたいくらい。
公式Twitterに部屋の写真載ってました⇩
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』公式|大ヒット上映中 on Twitter: "今ヶ瀬の残り香や気配が感じられる1枚📸
#恭一の部屋
#大倉忠義 #成田凌 #行定勲
#窮鼠はチーズの夢を見る
🧀🐭… "
インテリアにおいて茶色が持つ意味は「安心感・信頼・居心地の良さ」。
ひとりになって誰にも気を遣わなくて良い空間になったからか、ひたすら居心地の良さを追求し、離婚後の心を落ち着かせるための空間として恭一はあの空間を作ったんじゃないかな〜なんて、感じました。
特徴的なのはスペースに対して、照明が多いこと。しかも照明が全部違う。
照明は、人はいろんな面を持ってて、シーンによってその面を使い分けてることを表してるのかなって思ったり。
光が照らされる場所によって人は違って見えるから、今ヶ瀬といる姿、たまきちゃんといる姿、なつき先輩といる姿、会社での姿……恭一のいろんな面を表してるんじゃないかなって。
気分転換を頻繁にしたかったり、変身願望があったりするのかなあなんてことも思ったりしました。
個人的には、間接照明がいっぱいある部屋=エロい部屋だと思ってるので、恭一はえっちな人なんだと思う。(急に偏差値3の思考)
あと、あの実用的でない丸イスは恭一にとって"特別な存在の象徴"なのかなって。
おちつく家具の中でちょっと異質というか、なくても成立する家具なのに、存在感がすごい。そして長らくあの場所は今ヶ瀬の特等席で。あそこに今ヶ瀬が座るとなんだか家全体馴染んでる感じがするんだよね。
今ヶ瀬が座ってなくて椅子だけが映されると、虚無感があって寂しい感じになる。
たまきちゃんが初めて部屋に来た日に座ってたあの瞬間もものすごく意味のある描写だったと思う。
堂々と今ヶ瀬の特等席に座って、恭一の彼女の座についた、という感じ。ただ、哀しいかな、たまきちゃんが座ってる違和感を感じずにはいられなかったんだけどね。
次、モノに対しての考察いっきまーーーす!!!
題して、"今ヶ瀬とたまきによる恭一の部屋スペースを占拠するモノとその仕方によっての無言の闘い"。
長いね。笑
たまきちゃんのカーテン vs 今ヶ瀬の灰皿とライターによる無言の場所取りゲーム。
モノを通して、恭一の心の取り合いを描写してるよね。
でも、カーテンは届いているのに1週間も放置されてて。それが恭一のたまきちゃんに対する心の表れでもあって。
それでもたまきちゃんはカーテンを取り付ける。カーテンは家に入ったら目にすぐ飛び込んでくる場所で、堂々としてて。まるで、正統な立場・彼女として主張できるたまきちゃんのようにその場所でたなびいてる。
一方、今ヶ瀬の灰皿とライターは、体の血となり肉となるご飯を作る場所・キッチンのシンクの下に、守られるように大切に隠してあるの。外からは見えない場所なんだけど、心の中にしまってある大切なもののように。
それを見つけたたまきちゃんは、きっと気づいてた。他に大事な人がいるんだって。それでも、それをかき消すように、煮込み料理をできるように母に教わりますね、って何度も伝えたりして。その姿が切なかった。
恭一がたまきちゃんに別れを告げ、今ヶ瀬を待つと決めたあとの最後のシーンでは、カーテンも元のナチュラルな色のものに戻して、ゴミ箱に捨てられた灰皿拾い、キレイにして、部屋の真ん中に大事そうに置いてるのが印象的だった。
部屋の真ん中はきっと、心の真ん中を表す。
あのシーンは、今ヶ瀬を好きって気持ちを堂々と外に出して大事にできるようになった恭一を表してたんじゃないかなって思う。
本当の気持ちに素直になって、決意するとこに辿り着くまでにはきっと、本当に時間がかかります。
でもその紆余曲折があって、傷ついたり傷つけたりしながらそこに辿り着けたのは、とても人間らしくて、愛おしくて、素敵なことだと思うんです。
自分の気持ちをすべてさらけだして、周りなんて気にしないでなりふり構わずただそのひとを愛し尽くす。
苦しいけど、美しくて幸せな愛のかたちなんだろうな。
以上、この映画に感じた「部屋」と「モノ」にみる、人間関係と心的描写についてでした🥰
ここまで読んでくださってありがとうございました🤍🤍